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人事評価の基本~人事評価はマネジメントの基本④~

人事評価の実務全般にわたって解説を行ってまいります。今回は、ノウハウものではなく、出来るだけ、ノウハウの背景にある人事評価の概念や考え方にさかのぼって理解してもらうことを試みていきたいと考えております。ノウハウは、当座の問題解決には便利ですが、状況が目まぐるしく変わる現在にあって、様々に発生する人事評価の諸問題を自律的に解決していくための知恵を与えてくれません。私は、人事評価にかかわる人が、自分の頭で人事評価の諸問題を考えて結論を出してほしいと思っています。また、そういう思考力をこそ鍛えるべきであると考えています。今回はそのための教科書となるような内容をご紹介できればと考えております。

人事評価はマネジメントの基本

人事評価は経営課題の変遷とともに変わってきた

①経営環境変化と人事評価の基本思想の転換

 さて、今回は、少し人事評価に関する歴史について記載致します。
人事評価というものは、歴史的に見ても大きな変遷と遂げてきています。これを概観することで、各企業の今の人事評価のあり方を考える視点が加わるでしょう。

経営環境変化と人材マネジメント・コンセプトの転換

経営環境変化と人材マネジメント・コンセプトの転換

 

人材マネジメントの世界では、年功主義から実力主義へ、さらに能力主義から成果主義へと変遷を遂げています。その成果主義も見直しの時期に入っていると言われています。

こうした人材マネジメントのコンセプトの変遷は、人事評価の考え方に直接的な変化を引き起こしてきました。人材マネジメントの世界における理論的な発展に伴う一種の「進化」の結果、あるいは、「進歩」の結果、これらの変遷があるという捉え方もあります。しかし、そういう考え方よりも、企業が変化する経営環境に適応して業績を伸ばしていこうとした結果、つまり、功利的発想からこれらの変遷が起こってきたと考える方が実務家としては、より有益な視点が得られます。

「進化」や「進歩」の結果であるならば、最先端の人事評価のやり方が最も素晴らしいということになります。そうであるならば人事評価の実務についても、最先端の理論を勉強し、それを取り入れたベンチマーク企業の研究をしていけばよいということになるでしょうしかし、コンサルティングの経緯からすると、ことはそのように単純ではなく、導入する人事制度の構築観点をどうするかで、いつも悩まされています。

やはり、「進化」や「進歩」といった発想ではなく、直面する課題に向けた対策として何が「有効」かを考えるべきであると思います。そう考えることによって、人事評価のやり方も、その有効性の範囲を見極めれば今の課題解決に活用できるようになるというくらいの発想でみていく必要が、実務家にはあるのではないでしょうか。

下記では、年功主義・能力主義・成果主義の三つのコンセプトの説明を試みています。これらのコンセプトは、実はあまりきちんと定義されて使われたいないケースが多くあり、能力主義も成果主義も同じものとして言葉の使い分けがされていない新聞記事もよく見かけます。

年功主義・能力主義・成果主義の三つのコンセプトの狙い
年功主義・能力主義・成果主義の三つのコンセプトの狙い

また、一般の実務会では、成果主義を強調する際に、能力主義も年功主義の一種の一種として、年功主義概念の中に、一緒に入れて批判の対象にしていました。しかし、歴史的に見ると、少なくともこの三つコンセプトには大きな違いがあります。

②年功主義の評価の特徴

(1)右肩上がりの成長が前提

 年功主義は、処遇決定の重要要素に年齢や勤続を持ってくる考え方です。

 いつの時代から年功主義が日本企業に定着したのかは、色々な説があるようです。詳しい説明は割愛致しますが、第二次世界大戦後の復興に取り組む中で経験した経済的な拡大との関係で位置づけておくことで、とりあえずは進めたいと思います。そういう意味では、少なくとも第二次世界大戦後最大(当時)といわれた「いざなぎ景気」の頃には、年功主義の人材マネジメントが日本の大企業の中で大きなウェートを占めてきたと評価することに、それほど異論はないでしょう。
 

 この年功主義というのは、大学卒で入ってきた新入社員が、毎年同じように昇給をし、同じように昇格もしていくイメージでとらえてください。例えば、大学卒新入社員が100人いるとすると、そのうちの95人が0」年後の同年次に係長に就任し、さらに5年後の同年次には90人が課長に就任するというようなモデルを考えていただければ構いません。

 これは、経済的にも拡大し、個別の企業の業績が伸びていることから可能になるもので、そういう条件がなければ無理だろうという話は、今の考え方からするとその通りです。しかし、その当時は、間違いなく経済も企業も成長していったのですから、それに適応していった結果、年功主義にたどり着いたということになります。

(2)総額人件費の抑制効果を果たす

 年功主義の時代は、若年労働者がたくさんいました。いわゆる団塊の世代の若いころを考えれば、想像がつきます。一言でいえば、年功主義は、これらの人たちの給与を低く抑える機能を果たしたということ、つまり、企業の総額人件費を抑制する効果を果たしたということは、よく理解しておいてください。年功主義は、いくら頑張って業績を上げても、急には賃金が上がらないスタイルです。その分、企業のコストパフォーマンスが高いわけです。成果主義では、成果を上げたら賃金を高くするということになりますから、「いざなぎ景気」の時代でも成果主義で評価をして処遇に繋げたら、若くても賃金が高くなる人がたくさん出てきたでしょう。

今は、年功主義で高止まりした人の賃金を、成果主義というコンセプトで削減させようとしていますが、これとはまったく正反対の話です。この点はよく覚えておいてほしいと思います。

(3)「落ちこぼれ」を意図的に作る人事評価

 ここで、もう少し人事評価に引き付けて話をしますが、先に例を挙げた100人全員が同じように昇給昇格をし、そのうちの95人が同じ年度で係長になり、更にそのうちの90人が同じ年度に課長になるところに着目してください。

「これこそ正に、年功主義の弊害そのものである」と捉えるのであれば、「まだまだ人事評価について勉強することが多くあるな」と考えてください。たしかに、ほとんどの人が同じように昇給昇格をしているのですから、あまり競争がなく、ぬるま湯のように感じるかもしれません。しかし、よく見ていただきたいのは、100人のうち95人が同じ年度に係長になるものの、残る5人は係長になっていない点です。同じことは、課長就任時にも起こっています。95人のうち90人が課長になっていますが、5人は課長になっていません。

 このことの意味が非常に大切なのです。こういうやり方は、当時の日本を代表する鉄鋼業界や銀行業界などが典型であったと言われています。成果主義の世界ですと、いったん遅れても、次のタイミングで大きな成果を上げれば追いついたり追い越したりできるわけですが、この年功主義の時代は、いったん遅れると、追いつくことはありません。

 当時は、同期会を組織したり、そう記入者の結束を高めるような人材マネジメントを多くやっていました。また、格差を付けない人材マネジメントでは、わずかでも格差を付けられると目立つということがあります。しかも、いつも同じだと思っていた人に少しでも先を越されるというのは何となく気持ちが悪く、プライドを傷つけられることになります。今でもこういう気持ちになりがちだと思いますが、非常に嫌なものです。しかも、遅れると二度と追い付けないのですから、なおさら強いプレッシャーを感じます。

 要するに、年功主義の人事評価は、いわゆる「落ちこぼれ」を意図的に作っていく人事評価ということになります。「落ちこぼれ」になりたくないので、全員頑張ります。経営幹部になっていくために頑張るというよりも惨めな思いはしたくないので頑張るというメンタリティを人事評価によってくすぐるのです。

(4)「秘密主義」の評価制度

 年功主義の人事評価は、いわゆる「秘密主義」になります。「秘密主義」ですので、今のように評価結果のフィードバックを行ったりしないですし、人事評価表なども公開しません。もともと多くの人は同じ評価なのですから、殊更にオープンしたら問題となるのでしょう。しかし、いつどのように評価されたか分からないうちに「落ちこぼれ」になり、二度と挽回できないとなると、いつも緊張していなければいけないことになります。この気持ちを利用しようとしちゃ乃が、年功主義の人事評価です。

 少し現実の複雑さを丸め過ぎてモデル化しすぎたかもしれませんが、こういう考え方が人事評価のタイへ如意教材を提供してくれます。
 特に年功主義を理解することは、現在の成果主義における人事評価を理解するためにも大変重要ですので、少し長くなりましたが、開設を加えました。

バブル経済期の崩壊以降、成果主義が加速し、年功主義的なものに対する批判が非常に熱心に展開されました。それにもかかわらず、いまだに年功主義的なものは生き延びています。それは今でも。年功主義的なものに有用な部分があるからでしょう。現在しているものにはすべて理由があるわけですから、そういうこともよく研究して飲み込んだうえでじっくりと人事評価のあり方を研究する必要があります。

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③能力主義の評価の特徴

 さて、年功主義の後に出てきたのが、能力主義です。能力主義とは、処遇決定の柱に能力を持ってくる考え方で、高い能力を獲得出来たら高い処遇にするというものであり、年齢・勤続とともに徐々に処遇を向上させていく年功主義の考え方とは大きく異なります。

 能力主義は、人事制度上の用語を使うと、いわゆる職能資格制度を中核とした人事管理です。これは、旧日経連が1968年の「日経連能力主義管理研究会報告」ですでに主張しているもので、根脳主義の真っ只中、いざなぎ景気の最中に出てきている考え方です。

 しかし、産業界全体の動きとしては、能力主義の導入はオイルショックがきっかけでした。私の記憶にもしっかりと残っていますが、経済的な発展がこれからは望めなくなるだろうという極めて強いショックをこのとき受けた中にあって、日本企業は、人材マネジメントの有り方について新しい経営環境に対応すべく、色々な革新に取り組みました。

 オイルショックから10年くらいの間に、8~9割の企業が人事制度革新を行ったとみられていますが、この点はバブル経済崩壊以後の10年間に何らかの形で成果主義的な人事制度革新を行ったのと、ほぼ同じ状況です。それくらい日本企業がこぞって人事制度の革新を行ったのであり、その革新のコンセプトが、能力主義でした。

 「年功主義を克服して、能力主義を実現しよう」というスローガンが叫ばれましたが、本人の実力によって昇給や昇格に格差が生じることは、ある意味では当然のことです。総額人件費に余裕がなくなり、ポスト数も増加せず、場合によっては減少さえせざるを得ない状況の中で、年齢・勤続を中心概念に各人の処遇を管理することが出来なくなるのは目に見えています。

 しかし、年齢・勤続以外に社員の処遇格差を付けるための合理的な基準として「能力」を持ってきたことは、極めて日本的でした。「職務」を持ってきても良かったと思いまsが、日本企業は過去に職務給を導入して失敗した経験があり、職務基準によって給与を決定する方向にはいきにくかったようです。日本人は、職務記述書に決められた境界内のことだけをしっかりこなしていくというよりも、色々な状況に対応しながら、ひつようならば同僚の仕事のフォローをしたり、職務記述書には現れにくい改善業務などを自発的に行っていくのが性に合っていたということも言われました。こうした日本人の仕事のやり方が、日本企業の競争力の源泉であるというような良い方もありました。こういう考え方からすると、年功主義の後に職務給などの職務主位的人事革新をする気には、なかなかならなかったのでしょう。

 能力主義は、能力のあるなし(実力のあるなし)で処遇に格差を設けようとするわけですから、「能力とは何か」という定義が必要になります。しかし、この定義には、なかなか理解困難な面があるため、現段階では、結局は、年功主義を克服することにならなかったといった評価もあります。また、能力主義は別の形で年功主義を残したに過ぎないといういい方や、能力の評価がどうしても定性的な評価判断に頼ることになるので、客観的なものになりにくく、その結果、どうしても年功的な運用に流れていったという声もあります。

④成果主義の評価の特徴

(1)業績に応じて賃金原資を上下させる

 ただ、特別なケースは別として、のうりょくひょうかを考える際には、概して経験を積むことで能力がついてくるという面が間違いなくある点を抑えておく必要があります。能力主義というからには、徐々についていく能力を評価して処遇に反映させますので、やはり年々賃金原資の増加という面が出てきます。それはまた、脱能力主義にあたっての反省材料になるわけです。

 プラザ合意後の円高不況以降、新しい人材マネジメントの考え方が模索されるようになりました。これまでは賃金原資が徐々に上がる考え方で人事管理を行ってきましたが、実際の企業業績は徐々に上がるものでは無く、急激なダウンも経験しました。円高不況克服のために行った政策がバブル経済を呼びましたが、ほどなくバブル崩壊となり、ますます企業業績の先行き不透明感が強くなったうえ、国際競争も難しくなり、社員の賃金そのものも、業績に連動して変動していくことが求められるようになりました。

 そこで「業績」「成果」というものが大変重要な人事評価の概念となってきます。企業業績に応じて賃金原資もアップダウンさせるためには、その一方で、社員が頑張ってチャレンジすれば、企業業績が良くなっていく可能性があることが大前提となります。もし、どう頑張っても企業の業績が上がらない構造不況の真っ只中の企業であるならば、それは成果主義ということを言う前に、構造不況の意味を社員に説明し、全体として賃金ダウンをお願いする方が良いでしょう。成果主義というのは、あくまでも自分たちで努力しチャレンジした結果、企業の業績が良くなるという見通しがないと、上手く機能するものではありません。

(2)実績重視・業績連動型の人事評価

 成果という概念をクローズアップしてきましたが、人事評価上の「成果」という概念には、売上・利益等の数値に係る「業績」と、「業績」を上げるための活動実績成果の両方を含んでいます。ここで初めて、この成果という概念が人事評価の世界で出てきたわけではありません。実は、年功主義といわれていたころの人事評価にも、能力主義といわれていたころの人事評価にも、成果評価という概念はしっかりと存在していました。それでは、そのころの「成果」と成果主義時代の「成果」に、なにか違いがあるのでしょうか。

 個々の企業で特別な使い分けをしているケースがあるかもしませんが、一般的な良い方をすると、年功主義時代の人事評価における成果評価も、能力主義の、あるいは成果主義時代のそれも、とkに違いがあるわけではありません。

 人事評価制度の中で最も目につきやすい成果評価のウェートが、成果主義時代になってますます高くなっているということはあるでしょう。ただ、人事評価全体を100としたとき、その中で成果評価の場合が同パーセントを超えると成果主義になるといった判断基準があるわけではありませんので、何が成果主義時代の成果評価かといわれても、なかなか説明が困難です。

また、成果評価のウェートが同変遷してきたかという視点から人材マネジメント・コンセプトの変遷史を比較検証した研究も、無いのではないでしょうか。ただ、成果主義は、いわゆる人材マネジメント上のコンセプトであり、それは同時に人事評価のコンセプトですから、人事評価のあらゆるものに影響を与えていることは事実です。能力評価についても、実際の職務行動をしっかり見て能力の有無を見極めようといった実績重視で判断する方向に、成果主義のコンセプトが引っ張っていっています。成果主義というコンセプトは、こういう形で人事評価の中に入り込んできていると考えてください。

要するに、最終結果である業績に対して直接貢献している点に出来るだけ焦点を当てて評価しようと考えているのが、成果主義における人事評価の特徴です。したがって、成果主義では、結果として現れる売上高や利益だけを評価すべきだと言っているわけではありません。営業社員の場合も、成果主義では自らに課せられた受注高目標たあっ成立や標準価格達成率だけで人事評価をすべきだというわけでもありませんただ、最終結果である業績との連動をしっかり考えていこうという発想が、成果主義時代には強くなっているのは事実です。

⑤成果主義の修正局面での課題

 成果主義は、バブル経済崩壊以降の人材マネジメント革新を主導するコンセプトとして多くの企業の支持を得ましたが、次第に行き過ぎ(弊害)が指摘されるようになりました。

もともと成果主義の「成果」とは、結果を強く連想させる言葉です。したがって、成果主義という言葉を使えば、結果を出さないものは意味がないという強い印象を与えてしまいます。もちろん、今までの処遇上の甘さを指摘しようというコンセプトでしたから、そういうメッセージを強調したのは事実でしょう。たしかに厳しい経営環境の中で生き抜くには「頑張りました」というようなレベルで高い評価結果を出すわけにはいかないのはよくわかります。「良薬は口に苦し」の通り、厳しさを強調したのでしょう。

その一方で、この良薬に「苦い」ということ以上の副作用が出てきたのかもしれませんしかし、成果主義というものがそういう副作用を必然的に起こすものだとは私は未だに考えていません。もし、このタイプの副作用が発生するならば、能力主義の場合も、極端に言えば年功主義の場合も同じような副作用を起こすと思います。多くの企業で起こったといわれる成果主義の副作用は、成果主義というものを哲学的に突き詰めなかったことが原因だと思います。

ともあれ、成果主義の副作用が買う方面からも指摘され、多くの企業で成果主義の見直しが始まったことは事実です。その結果、もっと着実な人事評価制度に組み立て直そうとか、評価者への研修をしっかりしようという動きが出てきたことは、大変好ましいことです。そのプロセスの中で、人事部門の方や評価者が多くの研究をしたことが、とても大切だと思います。

 

まとめ

人は正当な評価がされないとモチベーションが下がり、やる気を失います。人事評価は査定の場ではなく、社員の成長を促し、先々の高いパフォーマンスにつなげていく仕組みです。仕組みをよく理解したうえで人事評価を行えるようにしていきましょう。人事評価はマネジメントの基本であることを頭に置き、時代に合った人事評価の習慣をしっかりと理解し、実践していくことが、管理者には必要です。

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